2021年12月17日に、世界に先駆けて日本で公開されたマトリックスレザレクションズ。
私も、12月20日に観に行ってきました。
マトリックスの1作目が公開されたのが1999年なので、それからもう20年以上も経っているんですね。
時が流れるのは早いものです。
マトリックスと聞くと、私達が現実だと思っているこの世界は、実は仮想空間の中で、そこで人間と機械が戦っているというイメージですよね。
マトリックスレザレクションズも、基本的には仮想現実の中で物語が進んでいくのですが、製作者側はそれ以上にもっと大切なことを私達に伝えたかったのではないかなぁと思えるセリフが、要所要所に出てきました。
そこで今回は、シリーズ4作目となるマトリックスレザレクションズの感想(レビュー)と解釈についてお話していきます。
私が受け取ったメッセージと製作者側が伝えたかったことが実際には違うかもしれませんが、映画とこの記事を読んだあなたは、実際にどのように受け取れるのか、ぜひ考えてみてください。
- この記事は、マトリックスレザレクションズの内容の一部を記載しており、ネタバレを含んでいます。
- 筆者の解釈を記載しているため、間違っている場合もありますが、真偽を問うものではありません。
- あくまでもエンターテイメントとしてご理解ください。
マトリックスレザレクションズのあらすじ
映画の内容を整理するためにも、最初にキーとなりうる人物や単語などについて、私なりの解釈を記載します。
ネタバレするため、アコーディオンにより中身を閉じており、タップ(クリック)していただくとその内容をご覧いただけます。
主な登場人物
世界観
製作者が言いたかった事とは?
物事には多面性がある
さてここから、マトリックスレザレクションズから読み取れることを推測していきます。
まずは、物事の多面性について。
青か赤のどちらかのピルを飲むことにより世界が変わるように、目の前に見えている物事は、1つの解釈だけではないということを示しているのではないでしょうか。
今自分の目の前にある事象に対して、1つの解釈しか持たなかった時、それはやがて固定観念に変わります。
固定観念が生まれると視野が狭くなり、融通が利かない人間になってしまうのです。
そのため、色々な可能性を考えたり様々な発想をし、その後に選択するのはとても大切なこと。
それを行うためにも、物事は一つの方向からだけではなく、色々な角度から見てみましょうというメッセージではないかと考えられます。
陰と陽、男女で一つ
この世の全ては、陰と陽で成り立っているという考え方があります。
専門用語で、ポラリティとも言います。
ポラリティとは、例えば、月と太陽、影と光、ネガティブな自分とポジティブな自分、消極的な自分と積極的な自分、女性と男性、受動と能動、植物と動物、空間と時間、偶数と奇数…など、対になっている存在を指します。
マトリックスレザレクションズで例えると、ネオとトリニティが2人合わさることで力を発揮するシーンがありましたよね。
また、ネオとスミスの関係も、切ろうとしても切り離せない関係です。
先程の多面性にも繋がる話ですが、物事には必ず裏と表があり、それが揃って初めて1つのものとして存在するということを覚えておきましょう。
女性を見下すな
マトリックスレザレクションズでは、トリニティが超サイヤ人ゴット的存在で、めちゃくちゃ強くなっていました。
ネオの立場が…。最後ちょっとネオの存在が薄かった気がします。
また、最後のシーンで、トリニティが、暴言を吐くアナリストをボコボコにしては修復し、ボコボコにしては修復するというものがありました。
女性よりも男性の方の力が強いので、どうしても男性は女性を下に見る傾向にあります。
しかし、それは許さんよ、平等に扱えやコノヤローというメッセージのように感じました。
自由な世界を創るのは自分
映画の中で、「当たり前だと刷り込まれている記憶」というような言葉が出てきました。
また、「自由」という言葉も、頻繁に出てきた事が私の中で引っかかっています。
これは最初、内閣府のムーンショット目標やフェイスブック(メタ)のメタバースのことを指しているのかなぁとも思ったんですが、多分違いますね。
今の教育に対して、異議あり…というか、学校で習ったことが全てではないよ、ということを言っているのではないかと思います。
どの国の教育もそうですが、自分の国の都合に合わせた詰め込み型の教育を子どもたちに行っていますよね。
それが別に悪いということではなく、国家として成り立たせるためにやっていること。
しかしそのやり方だと、どうしても個性を潰すようなことが発生してしまいます。
マトリックスという映画を通して、そのことに私達が気づいて、自分の個性を活かしましょうということを暗示しているのではないでしょうか。
つまり、「自由な世界を創る=自分の個性を生かした仕事や生活をする」ということ。
特に今は、個性の時代と言われています。
なぜ個性の時代なのかについては、下記の記事で説明していますので参考にしてください。
ちなみに、YouTuberで、「2020年12月22日にグレート・コンジャンクションが起きて風の時代・個性の時代が到来した」と言っている人たちがいますが、それは半分正解で半分間違いです。
正しくは、グレート・コンジャンクションと共にミューテーションが起きたからです。
グレート・コンジャンクションやミューテーションについては、下記の記事で説明しています。
気になる場合は、チェックしてみてください。
マトリックスレザレクションズを観て気になったこと
機械VS機械
機械同士が戦争するシーンがありましたよね。
これは、ネオの希望通り人間を開放したはいいけど、電池代わりにしていた人間がいなくなって電力が不足したために、その電力を奪い合う形で戦争が起きました。
(マトリックスが再構築されたのも、電力不足により前のマトリックスがシステムダウンしたからです。)
ただ、これちょっと疑問に思いませんか。
機械であれば、電力が不足したときに、また人間を電池に使おうとするはずです。
だって、人間よりも機械の方が明らかに強いんで、また戦争を起こそうとして強制的に人間を服従させることも可能じゃないですか。
でも、機械同士が戦争をしたということは、人間に味方する機械と人間に敵対する機械に別れたためだと考えられますよね。
そして、味方する機械が敵対する機械の行動を阻止しようとして戦争が起きたと…。
- 味方する機械
- 「ネオと約束したんだから、人間を襲うのはもうやめようよ。」
- 敵対する機械
- 「いやいや、そうだとしても俺たちの活動が止まっちまうぜ。」
みたいなやり取りがあったのかもしれません。
実際に、今の私達の世界で、AIを扱う専門家でも意見が2つに別れているようです。
一つは、AIが思考や感情を持って自立した時、人間が邪魔で抹殺しようとするだろうという意見。
もう一つは、自立したAIは、自分たちを創った人間に感謝し、神のような存在として認識するという意見。
そのことを、映画の中で描写したのではないかなぁと思います。
世の中は、陰と陽でできているので、ロボットも敵と味方に別れて当然っちゃ当然ですよね。
戦争は起きてほしくないですが。
人間と機械、それぞれの役割
映画内では、人間は電池で、機械たちに電力を供給する役割を持っています。
でも、なぜ人間なんでしょうか。他の動物ではダメなの…?
もっと言うと、電池にしている人間に仮想現実の夢を見させる必要ってあるの?
だって、仮想現実のマトリックスを維持するのにも電力使いますでしょ。
余分な電力じゃないですか。
そもそも、人間ってそんなに燃費良いんですか。効率悪い気がしますけど。
石油や石炭などが枯渇したという設定だとしても、人間が電池になる必要ってある?
仮に人間が必要なら、機械は人間に仮想現実の夢を見させるために活動しているってこと?
…なんて考えると、映画として成り立たなくなってしまいますね。
映画を観るのは私達で他の動物は見ないわけですし、人間を電池にして、しかも仮想現実を創らないと誰も映画を観てくれない。
私達が感情移入するために、そういう設定にしたのかなぁと勝手に妄想しています。
(実は、機械を操っている人間がいて、そいつが最大の黒幕だったりして…。)
実は培養液最強説
百歩譲って人間を電池代わりにできるとして、その人間を生かしておくためには栄養源が必要です。
それが、ポッドに入っている培養液。
人間の生命活動を維持して、しかも電気まで取り出すことができる培養液って一体何なんだ?って思いませんか。
おそらく、その培養液は機械には使えないんでしょうね。
だって、機械がその培養液からエネルギーを受け取れるのであれば、わざわざ人間を介して効率悪くする必要はないのですから。
豚や鳥、牛などの家畜と同じ考え方ですね。
木の実や雑草、残飯など、普段人間が食べないものを家畜が食べ、それで育った家畜を人間が食べるという仕組み。
マトリックスでは、この仕組みの家畜が人間、人間が機械ということです。
しかし、人間の生命活動を維持しつつ、そこから電力を取り出すのは、かなりエネルギー消費が激しいはず。
それを行うことができる培養液は、実は人間にも機械にも重要な資源なのではないでしょうか。
もしその培養液が現代社会にあるとすれば、人口増加や異常現象による食糧難などの問題を難なく回避することができるなぁと、思った次第です。
緑の暗号が日本語
マトリックスの特徴として、緑の暗号が上から下に流れるじゃないですか。
それ、日本語が含まれているって気づきましたか。
英数字だけじゃないんですよ。
カタカナを中心に、反転させた日本語が書かれています。
どうやら料理や食べ物など、日本の文化に関係するものが書かれているみたいですね。
マトリックスの原作は日本人だという話を聞いたことがあるのでそうしているかもしれないですし、緑色の暗号を担当した人が日本人なのかもしれないですし、製作者側に日本が好きな人がたくさんいるからそうしたかもしれないですし…。
その3つ全てが理由なのかもしれないですし。
今回、世界に先駆けて日本で最初に映画を公開したのと何か理由があるのでしょうか。
海外で作った映画をその国じゃなくて日本で先に公開するなんて、何か意味があると思いませんか。
日本人に対する何かしらのメッセージとか?
…なんて、あまり考えすぎると頭ハゲそうなのでこの辺にしておきます。
スミスの最後の顔
主な登場人物の所にも記載しましたが、スミスは映画の終盤で、「私は何者にもなれる」という言葉と共に、姿を変えましたよね。
一瞬でしたけど、どことなくベインに似ている気がしました。
ベインは、マトリックス2作目で、スミスに乗っ取られた人間です。
マトリックス3作目では、現実世界でネオを何度も襲おうとし、最終的にはネオの視力を奪いました。
今回のマトリックスレザレクションズで、変身した姿がベインだとすると、
「私は仮想現実だけでなく現実世界へも自由に行き来できるから覚悟しな」
ということを示しているのではないでしょうか。
と言いつつ、ベインとは全然違う人物でそんな事関係なかったりして。
まぁでも今回、スミスの存在意義がよくわからなかったので、なんか続編が出てそこで明らかになりそうですよね。
ちなみにスミスは、マトリックス1ではエージェント、マトリックス2と3ではコンピュータウイルス的な存在でした。
エンドロールの字幕
エンドロールを最後までご覧になりましたか。
そのエンドロールで、気になった点が2つあります。
一つは、「ママとパパへ、全ては愛から始まる」という字幕が出たこと。
(うろ覚えですが、確かこのような言葉だったと思います。)
これってどういうことを伝えたかったんでしょうね。
喧嘩したり離婚したりしちゃイヤよってこと?
でもそれだとあまりにも表面的というか、軽すぎますよね。
この映画では、ロボットが人間(ホムンクルス)を造るので、もしかすると、本来人間は愛から生まれるものだよということを指していたのかもしれませんね。
後で調べてみたところ、ラナ・ウォシャウスキー監督が亡くなった両親に捧げた言葉のようです。
もう一つ気になった点は、最後、レザレクションズ(resurrections)の「re」の字が強調されたような気がします。
(resurrections=(主にキリストの)復活)
ちょうどその時、私は疲れた目を押さえた瞬間だったのでそう見えただけだったかもしれませんが…。
もし「re」が強調されていたとすると、どういう意味が込められていたのでしょうか。
「re」の意味をいくつか調べてみたんですが、「繰り返す」とか「続く」とかそんなような言葉が出てきました。
マトリックスの続編(5作目)が今後出る可能性があるということなのか、単に物語は繰り返されるということを伝えたかっただけなのか…。
今作ではスミスの役割がハッキリとしなかったので、もしかすると次回作が出て明らかになっていくのかもしれませんね。
そこに少し期待したいなと思います。
(reが強調されたように見えたのが私の勘違いだったらすみません。)
キャットリックス
マトリックスの1作目からそうですが、随所で黒猫が登場しますよね。
特にレザレクションズでは、かなりの頻度で黒猫が登場しました。
この黒猫、実はかなり重要なプログラムなのではないでしょうか。
人間がマトリックスの世界に潜り込む時、エージェントたちに見つからないようハッキングして潜り込みます。
いわゆるバグというやつで、機械側からすると、迷惑で都合の悪い話です。
そのため機械は、バグが起きたプログラムを元の姿に書き換えようとします。
これをマトリックスではデジャヴュといい、その書き換え用のプログラム(又はソフトウェア?)の姿が黒猫なのです。
アナリストよりも上の階級に位置するであろうスーツが何なのかが明らかになっていませんが、もしかすると黒猫がスーツなのかも。
しかもエンドロールが終わった後に、猫動画をシリーズ化しようみたいなショートムービーが流れました。
ということは…、今後黒猫目線でのマトリックスが公開されるのか?!
マトリックス自体、続編が出るのかどうなのか知りませんが、期待したいですよね。
まとめ
マトリックスレザレクションズは、表面だけを見ると中年男女のラブストーリーです。
ネオとトリニティが、最後記憶を取り戻して結ばれてどこかへ飛んでいきますからね。
でも、物事には多面性がありますし、様々な角度から眺めることが大切です。
ここまで長々とこの記事を読み進めてきたあなたは、色々と気づくことや更に疑問に思うことが出てきたのではないでしょうか。
今回の考察は、あくまでも私視点ですので全て合っているわけではないですし、エンターテイメントとして捉えていただきたいのですが、一つの場面を切り取ったとしても、いくつもの可能性を考えることができますよね。
そうやって楽しむことも、映画の醍醐味です。
現在、内閣府のムーンショット目標やメタ(フェイスブック)のメタバースなど、サイバーフィジカルシステム(CPS)を生活の中に取り入れている計画が進みつつあります。
マトリックスレザレクションズは、そんな近未来に起こるであろう出来事を暗示しているのかもしれません。
人間と機械とが共存し合う世界となり、今世界で抱えている様々な問題が解決されたり和らいだりすると良いですよね。