人間関係が面倒になる場面は多々ありますが、今回は少し話題となった環境型セクハラで騒ぐ人の心理について考えてみることにします。
環境型セクハラとは、性的な内容や卑猥な言葉を使って話したり、ヌード写真のようなエッチな絵を職場などのポスターや看板に使ったりして、それらが人によってはセクハラと捉えられるものです。
ポイントは、「人によっては」セクハラだと感じられる点。
つまり、環境型セクハラに関しては、セクハラだと感じる人もいればそうでない人もいるのです。
もちろん、わざと卑猥な言葉や絵を使っていたら、セクハラになるかもしれませんよ。
しかし今回、環境型セクハラで話題になったのは、セクハラを狙ってやったわけではないということ。
それにも関わらず、あたかも自分の意見は皆の意見であるかのように環境型セクハラを主張するので、より人間関係を面倒にしてしまうのです。
詳しい内容は後述しますが、そのような人は周りの意見を取り入れようとしないので、ステレオタイプ(固定観念、偏見)で人や物を識別しようとします。
そして、余計に人間関係を面倒にするという負の連鎖に陥ることに…。
そのような人にならないための教訓として、今回は環境型セクハラの問題で話題となった、人間関係を面倒にする人の心理についてお伝えします。
人間関係が面倒と思う瞬間
人の意見を聞こうとしない
あなたの周りに、自分の意見ばかり主張して、こちらの話を聞こうとしない人っていますよね。
否定、遮り、決めつけ
この3つのどれか又は全てを使って会話してくる人がいますが、これをやられるとかなり面倒くさいと感じるようになります。
- 否定とは、文字通りあなたの意見を否定して、自分の意見を主張すること。
- 遮りとは、あなたがまだ話している途中なのに、自分の話をし出すこと。
- 決めつけとは、あなたの話の内容を理解しないまま、別の解釈であなたの話の内容を決めつけること。
これら3つに共通して言えることは、自分の意見や考えが一番正しいと思い込んで、人の意見を聞こうとしないことです。
簡単に言うと、空気を読もうともしないと言えるでしょう。
人間関係を面倒にしないためにも、たとえ自分とは違う意見でも相手の話の聞く耳は持つべきなのです。
自分の知識を見せびらかす
これは、自分の立場が上であることを象徴するかのように、偉そうに話をする人です。
【人付き合いが面倒すぎる!ウザい奴に絡まれたときの対処法】でもお話ししましたが、自分の能力を実際の能力よりも高く見積もる性質のことを「ダニング・クルーガー効果」といいます。
知的レベルが低い人ほど自分は頭が良いと思っていることが多いんです。
このような人は、人よりも知識があると思い込んでいて頑固者なので、めちゃくちゃ厄介。
自分の事を俯瞰して冷静に見ることができていない、つまりメタ認知ができていないという証拠です。
ただ、私たちも、ダニング・クルーガー効果が発動するときがあるので、気を付けなければいけませんよね。
人間関係を面倒にしないためにも、常にメタ認知することが大切です。
自分を外側から見ることにより、今の自分の思考、感情、行動を冷静に分析すること。
詳しくは、【お手軽メタ認知の方法!やる気を高める二人称自己暗示法の力】をご覧ください。
他人の成果を自分のものにする
都合の良いことは自分の手柄にして、都合の悪いことは人のせいにする人っていませんか。
私が市役所に勤めていた時、いましたよ、こういう人。
いわゆる、マキャベリスト(他人を操って自分の利益にしようとする人)というものです。
マキャベリストがチームにいるだけで、人間関係を面倒にするだけでなく、コミュニティを崩壊させてしまうので、かなり注意しなければなりません。
そんな人とは、なるべく距離を取ることが一番の対処法です。
しかし、どうしても関わらないといけない場合は、【人付き合いが面倒すぎる!ウザい奴に絡まれたときの対処法】でお話ししたことを試すしかないでしょう。
取り上げられた環境型セクハラ問題
少しニュースで話題となった環境型セクハラの問題は、献血のポスターや記念品としてもらえるクリアファイルに描かれている女の子のキャラクターがきっかけです。
そのキャラクターの胸が少しばかり強調して描かれていて、それが環境型セクハラに値するということなのです。
しかも、一般人だけでなく弁護士までそのような意見を言い出したので、ニュースに取り上げられるようになりました。
私もその絵をインターネットで検索して確認しましたが、ちょっとバランスがおかしいかもと思った以外、何も感じませんでしたけどね。
環境型セクハラと主張している人たちの理由としては、「なぜなら、私が不快に感じるから。」だそうです。
これを聞いて、あなたはどう思いますか。
なんて自己中心的なんだろう、太陽はおろか、全ての惑星・銀河は自分中心で回っていると勘違いしているのではないか、と不覚にも私はそう思ってしまいました。
人それぞれ捉え方、感じ方は違うので、その絵を見て不快に思う人もいて当然だとは思いますよ。
しかし、騒ぎ立てるほどのものではないような気がします。
これくらいの絵でセクハラだとまで主張する人は、普段からエロいことを意識し過ぎではないのかと、逆に気持ち悪く感じてしまいます。
なぜ環境型セクハラに過剰反応するのか
違う意見を理解できない
【人間関係が面倒と思う瞬間】でお話ししたとおり、自分の意見が正しくて他のすべては間違っているという認識から生まれるものです。
人それぞれ、巨乳だと感じる感覚は違いますよね。
それに、巨乳に対して嫌悪感を持つ人もいれば、素敵・嬉しいなどと好感を持つ人もいて当たり前です。
だって、巨乳の定義が存在しないので。
賛否両論なので騒いでも意味はないのに、「巨乳の絵=不快=セクハラ」と“決めつけ”てしまっているのです。
間違いや正しさを求めすぎてしまっている
この世の中に、完璧に正しい物なんて存在しませんよね。
人によってはそれが正しいと思う人もいれば、間違っていると感じる場合もあります。
少し冷静になって考えてみると、正しさと間違いは表裏一体。
つまり、正しいものが存在するとするならば、同時に間違っているものも存在するということです。
その間違っていることを排除しようとするので、さらに間違いが際立って見えてしまうのではないでしょうか。
…と、なんか哲学っぽくなってしまいましたが、誰しも、自分の考えが100%世間に受け入れられているわけではないんです。
フェミニストからすれば、巨乳のキャラクターはセクハラだと感じるかもしれません。
しかしその絵を使うことによって、色々な人が献血に訪れて、血を集めるのに役立ったのであれば、その絵は正しいという見方もできますよね。
正しいか間違っているかは、立場によって変わることを理解できないので、自分の意見が正しいことを証明するために、自分の考えと違う意見や出来事を叩こうとしてしまうのです。
メタ認知能力が低い
環境型セクハラだと過剰反応する人たちは、「自分はこう思う、だから間違っている。」というように、第3者の意見を取り入れようとしません。
自分の事を俯瞰して見ることができていないと、このように自分の意見を周囲に押し付けようとしてしまいます。
皆もセクハラだと感じるのであれば、自然と淘汰されていきます。
そのことを理解できずに、自分の意見を押し通そうとするので、人間関係が面倒になってしまうのです。
共感能力が低い
仮に、巨乳が環境型セクハラであると仮定しましょう。
すると、巨乳であることに悩んでいる人たちは、いったいどうなるのでしょうか。
その人そのものがセクハラになってしまいますよね。
それに、巨乳のキャラクターを描く作家さんや、その絵を求めている読者たちもセクハラ扱いになってしまいます。
それは、明らかに間違っていませんか、と私は思いますがどうでしょう。
作家さんだって、需要があるからそのような絵を描いているのだと思います。
それなのに、自分が考え抜いて描いた絵がセクハラだなんて言われたらどんな気持ちになるだろうか…
というような共感を、環境型セクハラだと訴える人は持つことができないのです。
人間関係を面倒にする人の結末
ネガティブな画像ばかりに反応する
自分と違う意見は受け入れられないという差別主義な傾向が強い人ほど、ネガティブな画像に敏感に反応することが分かっています。
なぜネガティブな画像に敏感になるかというと、変わることが怖く、違いに耐えられる知性がないからです。
ちなみに、ここでいう知性とは、学歴のことではありませんよ。
柔軟さを持っているかどうか。学歴が高くても、固定観念に染まっていて頭が固くなっている人はいます。
知性を持っていないと、ネガティブなことばかり目を向けてしまって、人生を楽しめなくなってしまうのです。
異性との関係が維持できない
メンタルが弱まっている時は、ネガティブな感情を処理することができません。
それが一時的なものであればまだ良いかもしれませんが、慢性的になると人間関係を面倒にしてしまいます。
恋愛に関する研究はいくつもあり、例えば8,206人の男女を対象に恋愛の傾向と性格を調べた研究では、メンタルが弱い人ほど不幸な恋愛をして、関係性も安定しないという結果が出ています。
また、300組の夫婦を追跡した調査では、夫婦のどちらかのメンタルが病んでいると、結婚に対する満足度が下がり、離婚率が高くなる傾向にあるとのこと。
さらに、72組の新婚夫婦を調べた研究では、メンタルが弱いと性的な満足度が下がるという結果になっています。
自分と全く同じ意見の人はいないので、どれだけその差を認識できるかが大切です。
それができないので、メンタルが弱くなってネガティブな対応をとるようになってしまうのです。
フェミニストの活動はむしろ逆効果
男女の差別の差を無くそうとして差別運動を行うフェミニストの活動は、実は返って女性差別を生んでしまう結果となります。
なぜかというと、「女性差別をなくしましょう」と言えば言うほど、「皆、女性差別をしているんだ。」と思ってしまうからです。
私たち人間は、多くの人がやっていることに無意識に従う傾向にあります。
なので、女性差別をなくしましょうと言っている間は、女性差別の方に目を向けてしまうんです。
「戦争を無くしましょう」と言えば言うほど戦争が大きくなるのと同じことですよね。
この場合は、「平和を願いましょう」と言うと、戦争ではなく平和に意識が向くのです。
極端なことをやろうとすると視野が狭くなり、本来の目的が達成できなくなってしまいますので、私たちもそのことに注意しなければなりません。
感情に流されて人間関係を面倒にしないための対策
私たち人間は、感情に流されて物事を判断してしまいます。
これは、フェミニストや差別主義者だけでなく、あなたや私にも当てはまること。
しかし、感情に任せた判断は、たいていの場合悪い方向へ進んでしまうのです。
そのため、感情的になったら、一度落ち着く必要があります。
そのための対策を一つお伝えしますが、前提として私たちの脳は3パターンある事を知っておかなければなりません。
それは、原始脳(爬虫類脳)、哺乳類脳(感情脳)、人間脳(論理脳)です。
この3パターンは、常にどれか1つしか機能させることができず、特にスイッチが入りやすい原始脳と哺乳類脳は、感情を基準にして行動を取ろうとします。
その結果、間違った選択をすることが多くなってしまうのです。
なるべくミスしないように、物事を分析して判断するためには、人間脳にスイッチを入れる必要があります。
そのための一番良い方法は、「なぜ?」と質問してみること。
例えば、頭にきたと怒りの感情が現れた時は、「なぜ今怒っているのか?何が問題なのか?」と一瞬考えるだけで、人間脳にスイッチを入れて論理的な思考で判断できるようになります。
もし相手が感情的になっているのであれば、あなたも一緒に感情的になって言い合うのではなく、なぜそのような感情になっているのか、相手に聞いてみるのです。
すると、相手も人間脳にスイッチが入って論理的に判断をすることができるようになります。
「なぜ、今そう感じるのか」を、常に問いてみることをぜひ試してみてください。
まとめ
今回話題となった、献血の絵に関する環境型セクハラ問題は、確かに人によっては不快に感じるものかもしれません。
それは、私も理解できます。
しかし、騒ぎ立てるほどのものではないのではないか、という疑問から、環境型セクハラに過剰反応する人の心理についてお伝えしてきました。
特に、巨乳に関していえば、どこまでがセーフでどこからがアウトなのか定義がないので、訴えることまでするのはいかがなものか、と思います。
仮にそれが、人間にとって必要のない物であれば自然に淘汰されていくので、不快に感じたら攻撃するのではなくて遠ざければ良いのです。
攻撃している間は、反対の意見を持った人たちと戦うことになるので、なくなることはありませんよ。
それどころか、激しさを増す場合もあります。
つまり、環境型セクハラだと騒ぎ立てている人たちは、自分自身も間接的にセクハラに加担していることになるんです。
そのような、感情に流されて間違った行動を取らないための一番手軽な方法が、「なぜ?」と問いただすこと。
「なぜ今自分はそう思うのか、なぜそのような行動を取ろうとするのか、なぜ反対する人がいるのか、なぜ…」
と、なぜ、なぜ、なぜを繰り返すことで、人間脳にスイッチを入れて論理的な判断ができるようになります。
フェミニストや差別主義者のように感情的になることは少ないとしても、私たちも自分の感情によって誤った解釈をしてしまいがち。
そんなことをして人間関係を面倒にしないためにも、「なぜ?」と自分自身に聞いてみる癖をつけてみてください。
人間関係を面倒にする人の環境型セクハラに過剰反応する心理 まとめ
- 人の意見を聞こうとしない
- 自分の知識を見せびらかす
- 他人の成果を自分のものにする
- 献血のポスターや記念品としてもらえるクリアファイルに胸を強調した女性のキャラクターが描かれていたことがきっかけ
- そのキャラクターは献血の場にふさわしくないと騒ぎ立てる人たちがいた
- そのキャラクターが環境型セクハラであると主張する人達の理由は「私が不快に感じるから。」
- 違う意見を理解できない
- 間違いや正しさを求めすぎてしまっている
- メタ認知能力が低い
- 共感能力が低い
- ネガティブな画像ばかりに反応する
- 異性との関係が維持できない
- 差別をなくそう運動をすればするほど、差別に目を向けてしまう
- 戦争を無くそう運動をして戦争が悪化することと同じ
- その場合は平和を願おうなどと、別のことに意識を向けさせる運動をすると良い
- 論理的な思考にスイッチを入れ替えるためには「なぜ?」と自分に聞いてみる
- 相手が感情的になっている時も「なぜそう思うのか。」と聞くと、相手も論理的に考えようとする
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